ぱっとやごうのジャズ千夜一夜物語

第1夜 僕たち

「私たちには何も問題が無いのよ」と彼女は言った。

彼女が4月から大学院に通いつつ、漸く見つけた高校の非常勤講師を始めて間も無くの頃だった。

めずらしく2週間途絶えたコンタクトも環境が変わった忙しさのせいに違いなく、7年間付き合った僕達にはそんな2週間は何でもない事だった。

─ 何も問題が無い、何も変わらない、うれしい話じゃないか ─

僕がそう思ったのもつかの間、彼女の言葉には続きが有った。

「私たちには何も問題が無いのよ、あなたの事以外は」

─ 僕のこと以外? ─

一瞬、意味が判らなかった、判ろうはずも無かった。

「僕たちには何も問題が無いのに、僕にはどうして問題が有るの?」

聞くべきではなかったかもしれない一言が僕の口をついて出た。

電話の向こうから気が遠くなるくらい長いため息が聞こえた。

「あのね、違うの。あなたと私ではないの」

「君と僕じゃない?」

辛い意味を漸く分かったのはその時だった。

7年間、『私たち』と君が言う時、それは君と僕の事に決まっていた。

『僕たち』と僕が言う時、それは僕と君の事に決まっていた。

一体、彼女の2週間と言うのは僕の平凡な日々と比べてどれだけ目まぐるしいものだったのだろう。

それとも、一瞬にして僕は彼女の一番近い人では無くなったのだろうか?

『私たち』と君が言う、君と誰か他の人、僕にはその言葉をうまく消化する事が出来なかった。

『僕たち』と僕が言う、 それは相変わらず僕と君、その距離が余りにも遠かった。

確かな事は君が電撃的に(きっと、)恋に落ち、僕は相変わらず君に恋している、と言うつらい現実だけ。

彼女はそれでも柔らかく言った。

「でもね、今日は『ムゲン』に一人で行ってあなたの好きなPAUL BLEYの
『OPEN TO LOVE』を聞いてきたのよ」

言葉の出ない僕は一人ごちた。

─ 有難う、もう良いよ。『ムゲン』には『OPEN TO LOVE』は置いてないんだ ─

一つの時代が確実に終わりを告げた。

PAUL BLEY / OPEN TO LOVE

1972年 ECM

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