ぱっとやごうのジャズ千夜一夜物語

第14夜 GOOD BAITの落書き帳 その7 あんず

突然、目の前に海の青がワーッと拡がる。

いつもそうだった。

「汐見坂!」と僕が言うと、「潮見坂なの」 ‥ すこしおどけて、すこしとがめるようにあんずはいつも言った。

そんな場面がふと頭をよぎる間に、いきなりやってきた波は、 僕を靴ごとくるぶしまで飲み込んでしまった。

彼女と別れた理由が僕の破廉恥なふるまいだったからとか、 彼女を頭から消し去りたいと思っていたからでは無く、 僕は彼女以外とその大好きな場所へは行っていなかった。

それは、僕たちが共有した何もかもの波調が一番高い処に来ていた汐見坂での場面を、 上からもう一度誰かとなぞったりしたくなかった ─ ただそう言うことだ。

激しい風とくるぶしまで飲み込まれたままの波の中で、 僕はタバコに火をつけようと何度もライターをこする。 そんな風の中ではつきっこないのに‥

そうして、その当たり前に上手く出来ない事に対して少しイラついたりしている姿は、 全く僕の最近の日常を凝縮したものに思えて苦笑い、そしてもう一度たちすくむ。

─ さむいな ─ と気付いたのはどれくらい経ってからだろう。

まだ陽は午後四時くらいの高さではある。

『ぐちゅ、ぐちゅ』という靴音を立てながら車までソプラノサックスを取りに行く。

もう一度荒れる波打ち際まで歩いていってロングトーンを一発、そしてもう一発。

2週間ぶりに加える僕の管からは鈍い音しか出ない。

─ それでもね ─ と独り言。

─ こんな事でお祝いしたつもりになって僕の気が楽になる事をあんずは笑ってくれるかな ─

あんずの好きなDAVID SANBORNのSTRAIGHT TO THE HEARTを吹いてみる。

音痴な僕のソプラノが波や風の音にあっという間にかき消されてしまう。

─ お笑い種の空回り。まぁ、こんなもんだよね ─ ともう一度独り言。

僕が顔も見たくないほどひどい奴だったとしても、

汐見坂からのお祝いの言葉一つくらいははね付けないでくれるよね‥月並みだけど‥

結婚おめでとう

AS WE SPEAK / DAVID SANBORN

1982年 WARNER BROS.

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