ぱっとやごうのジャズ千夜一夜物語

第21夜 かげふみ(2)

理数系はからっきし駄目だった。 それ以外は概ね良かった。 僕は親の経済状態などまるで気にもせずに東京の私立大学に行こうと決めていた。 決めてはいたが一応体裁をつくろう為に地元大阪の大学受験の為に共通一次試験というものを受けた。 この年から始まる新しい入試システムだった。 この試験が1月15日の成人の日にあったのだが、予想通りとは言え、驚くほど出来た科目と出来ない科目の差がはっきりと結果になって現れた。 僕がはじめて岡本智恵と二人で会ったのは、この試験が終わった日の事だった。

「どうでした?」とたずねる彼女に、僕は悪びれもせずに、 「予想以上に予想通り。これで大阪の大学は無理かな。東京の学校行くわ」 そう言って少し彼女の顔色をうかがってみる。

今から思えば受験の緊張感や出来の悪い試験への挫折感が、あんなに無かったのは如何なものか?といった状況だ。

「ふーん。東京かぁ」

彼女はマッチ棒を弄くりながらそっけなく返事をした。

「『ふーん。東京かぁ』か。それだけ?」

「うん。がんばってね」

「え。いや。そういう事と違うんやけど」

僕達はいつもみたいに力んだ感じの喫茶店ではなくて心斎橋の紅茶専門店にいた。 いざ二人であってみると何となくギクシャクして間が悪い。

「あ。この曲ね。西城秀樹」

「え。あーほんまやね。こんな店でかかるんやね」

そんな具合である。 間が悪いので普段はほとんど置いているだけの煙草をばかすか吸ったりした。

「あのね」と、彼女は何の前触れも無く切り出した。  あるいはその一言までの長い間が前触れだったのかも知れない。

「あのね。今日ははじめて二人で会えたからうれしいんです。 時々顔を合わせる日もお昼休みくらいから色々考えるんです。 『今日はどんな服着てきはるやろ』とか『今日もジーセンかな?』とかそんな事。 そやけど東京の大学行きはるって聞いても、思ってたよりあんまり何も感じないから何か変やなぁ、って自分で思うの」

一つ年上の僕に言うような、又は同い年の友達に言うような色々な語調の混じった言葉に僕は今どういう表情を彼女に向けているのだろう、 と自問自答したのを覚えている。

「隠しても仕方ないから言いますけど好きな人はいるんです。全然気持ち伝わらへんけど。 ジェイさんと会うのはそんなんと違う、なんかホッとするっていうか。 変でしょ急に。全部の入試、終わってから話そうかな、と思ってたけど、今日二人で会うのはじめてやから。 はじめにきちんと言うといたら、その方が良いかなと思って。 私立の試験は2月からでしょ。 あと3週間」

「ん。関西の私立はほとんど受けへんからあと一ヶ月くらいかな。正直に話してくれてうれしいわ。 僕かてようわかれへんし、そんなに一杯色んな事しゃべったわけとちゃうもんね。 ただ、智恵ちゃんが来る、と言う日だけは必ず行く事に決めてて、だんだんお気に入りになってきてる。 というか、その‥」

「よかった。 私ね、高校生の男の子ってギラギラしててキライ。 すぐ好きとかきらいとか、AとかBとかCとか。 あのね。 10年経って思い出したら、『良くあんな事言ってたな』とか、 『あんなあほの男の子と付きあってた』 とか思って恥ずかしくなりそうな、 そんなのばっかり」

そういう彼女もまた背伸びをしている事はわかっていたが、 ちょっと違う背伸びの仕方に僕はますます彼女が気に入ってしまった。 上手く言えないが、当時の僕としては『"僕にちょっと似ているかな』と思ったのである。 それは当時の彼女の予言どうりで、今となっては非常におもはゆい感情だったというわけなのだけど。

「どこの学校受けはるんですか?よく知らないけど、多分」

「えーと。良く名前を聞くような東京の大学。それとすべり止めに関西を一つ」

「『天才』とか、私の友達とかが良く言うでしょ。あーいうのキライなんです。 でも結構レベル高そう」

「秘密を一つ教えてあげる。 受けるのは誰でも出来る、試験代さえ出せばね。 先生は関西の学校以外はやばいって言ってるし。 でね、問題はまた二人で会えるかな、と言う事なんだけど」

「うん。はい。もちろん。 今ね、二人で会ってみて良かったと思ってたところ。 でもきちんと勉強してね。 いつもは電話にして、試験が済むまでは2、3週間に一度だけ会いません?」

夕方6時過ぎの心斎橋はもう陽も落ちて薄暗い。 会社帰りの人や学生達の雑踏の中を、僕達は近鉄奈良線の改札口迄並んでゆっくりと歩く。 入試帰りの高校生のメンタルでは無かっただろうことだけは今でも良く覚えている。

その日を境に、僕のちょっとお気に入りの女の子は、 生まれてはじめての『まともな』恋愛の対象へと一気に登りつめていた。

【次週に続く】

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