ぱっとやごうのジャズ千夜一夜物語

第27夜 かげふみ(8)

だからと言って、『そういう事』を実現する為にはいったいどうすれば良いのか?? さっぱりわからないのは誰だって最初は同じだったに違いない。 『マグノリア』を出た僕達はそろそろ暮れ始めたミナミの街をぎこちなく歩く。 それだけでうれしくてたまらない。 それなのに困った邪心があるとぎこちなさは尋常ではない。 そういったぎこちなさは当然彼女にも伝わっていて、彼女のぎこちなさも僕のそれと良い勝負である。 何やらテンションが高い。

「あのさ、ハルオがね。トモエは石川ひとみに似てるなー、って言うてたわ」

「‥え‥あ‥何か時々言われる‥みたい」

「あ、やっぱり‥」

「うん‥」

「ジャズ喫茶、行った事ある?」

「いえ、無い、です」

「行こか。僕もあんまり行った事無いけど、何か独特で、ジーセンとかのロックの店より良えかもわかれへんと思うねん。 『845(ハシゴ)』って言う所が近くに有るねん」

「あ、はい」

『845』は当時のジャズ喫茶の例に漏れず、大通りから一本路地を入った、繁華街の中でも怪しげな風俗関係の店などが多い地域にある。 僕は ─ ジャズ喫茶行ったら今日はちゃんと帰らなあかん。帰るんやぞ ─ と、自分に何度も言い聞かせながらも、どちらかと言うと明らかに人通りも多いし、 通った回数も多い『やかた』という老舗のジャズ喫茶を選ばない自分に気付かないふりをしていた。 路地を一つ入ったところで街の空気が変わる。 僕にとってはまだなじみとまではいかない、そして彼女にとっては未知の場所である。 僕は、『マグノリア』を出てからはじめて軽く彼女の手を取った。 彼女が少しピクリと反応したのはわかったけれども、何でも無い風を装って、 「ジャズ喫茶はね、おっきい声で脳天気にしゃべってたりしたら注意されるから、気ぃつけよね。あは」などと言ったような気がする。

店に入った途端に、何やらごちゃごちゃのビッグバンドの演奏が大音量で耳に飛び込んできた。 僕たちは坐ってからしばしその音の洪水に圧倒されて、二人で目を合わせると、「参ったね、これは」と言った表情でお互い肩をすくめて軽く微笑んだ。 店全体がオレンジ色、といった趣のスペースで、大音量の中であらぬ事を考えているうちに音楽はバラードに変わっていった。 今となってはあの時に流れていたバラードが『OLD FOLKS』や『STELLA BY STARLIGHT』であったとしてもそんな事を確認する術など無いけど、 僕にはそれがマイルスのミュートだった様な気がしてならない。 唐突に、僕の邪心の真っ只中に彼女は割り込んできて来た。

「あのね、ごめんね。ごめんなさい」

「‥?‥え?‥こちらこそ。何か、会うとあんまり喋られへんね。 そやけど全然退屈とか気詰まりとかあらへんよ」

「‥アタシも、アタシも全然退屈なんかしてない。してません。あのね、そんな事と違うんです。 前に好きな人がいる、って言ってたでしょ。あさってね、その人と会うんです。 ごめんね、黙ってるのってずるいもんね。 それでね、会ってみて、会って見たらやっぱり違うな、ってきっぱりと思えるような気がするの。 そしてやっぱり私にはジェイさんだって思えるんとちゃうかなってそんな気がするんです。 っていうかもう自分の中では判っていてけじめをつけるだけっていうか‥ でも黙って会う事、決めちゃってごめんなさい」

「うん、へぇ、そうやね、それでけじめをつけてくれるのなら会ってもらうことは、全然へっちゃら。全然ね」

大嘘つきである。 僕はへっちゃらから一番遠いところにいた。 正直に話してくれた彼女に対して、自分の不安な心を見透かされたくない為だけにそんな大袈裟な返事をした自分が歯がゆかった。 相変わらず流れるバラードの中で沈黙が続く。 長いドラムソロの最中に僕は、突然意を決した。

─ よし、これは行くしかないな。行くしかない ─

わが人生の中でも5本の指に入るのではないかと思える浅はかで恥ずかしい決断であった。 しかし当時の僕にはそんな物分かりの良い理屈はまだ通用しなかった。 体の中から火照ってきた僕はじっとりとした両手を握り締めて、「出よか!」と、裏返りそうな声で言った。

【次週に続く】

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