ぱっとやごうのジャズ千夜一夜物語
第36夜 かげふみ(17)
テレビなどで良く見かける黒山の人だかり状態の合格発表、といった盛り上がった情景なんてそこには無くて、結構閑散としたものだったけれど、 それでも僕にとっては一つ答えを出せたわけでうれしくない筈は無かった。
ポケットに手を突っ込むと10円玉が3枚有ったので、僕は電話ボックスを探して、校門の前の黄色い電話から、智恵のところのダイアルを回した。 でもこんな所から ─ 長電話も出来ないな ─ と思ったので、途中で一度受話器を下ろし、自宅に電話して報告するだけにした。 もっちゃんと佐竹に、「お祝いや」とコーヒーとケーキをご馳走してもらってから、家に帰った。 夕食時あたりから色んな友達から電話ががんがんかかってきて、お互いの結果の報告なんかをしてたら、10時を過ぎてしまった。
それでも浮かれている僕は、良い気になって彼女の家のダイアルを回した。 数回の呼び出し音の後でようやく聞きなれた声が受話器を通して聞こえてきた。
「はい。岡本です」
「あ、智恵ちゃん。俺。ご無沙汰です。約束守ったよ。あのね、受かったよ。 今日発表で、もっちゃんとか他のみんなはほとんど全滅したけど、ラッキーやったわ。 ずっとね、毎日電話したかったけど今日まで待ってた甲斐があったわ。 ほんまはね、何回も電話番号まわしてベルが鳴りだしたら切って。 大阪やねん、大阪で学校行けるねん。 いつでも会える。いつでもな。 毎日な、ギター弾いたりとか犬の散歩とかして、智恵の事考えながら今日になるの待っててん。ずっと。 長かったわ。あ、一人で喋ってごめん」
「おめでとう‥ございます。受かると思ってました。さすがですね」
「あのな、試験の朝にお守りのマッチ箱から一本マッチ取り出して火つけたら、『必勝!』って書いた分やったからその時絶対いけると思たわ。 ほんまにありがとう。 智恵のおかげや。ずっと気持ち張りつめて出来た」
「‥あのね、じゃ、私の役目は終わり‥ですよね?」
「え、ははは。ご冗談でしょ。これからだよ。全部これから。 僕らはこれから始まるんや。あのね、もうすぐにでも会いたい。明日会いたい」
「だめなんです。ごめんなさい」
「あ、ほんとー。そしたら明後日は?」
「だめ、なんです」
「うん、売れっ子やね。春休みやし。 僕も久しぶりに学校の友達とかに会ったりするわ。 いつでも会えるんやし。 いつが空いてるかな?」
「‥」
「もしもし?智恵ちゃん?聞いてる?」
「‥ごめんなさい‥だめなんです‥」
「え?なんで?何か有ったん?」
「‥」
「‥ん〜‥何か有ったんやったら教えてね」
「‥あのね、何も無かったからです。 ‥この間ね、どうしても逢いたかったから電話したでしょ。私じゃ無くてサチエに頼んで‥電話しない約束だったからサチエに頼んで隣にいたの‥ あの時は留守だったけどその後で電話くれはらへんかった‥ 前に男の人と会うって言ったでしょ。それでね。ごめんね。ごめんなさい。とてもとても良い人なんです。 毎日電話とかくれて。 それで私わかれへんようになってジェイさんとすぐに、どうしても話したかったんです。 サチエの電話ですぐに折り返してくれると思ってた‥」
「え?なに?いつ?いつくれたそんな電話?俺知らん。そんな電話」
そう言った途端に気が付いた。 先日留守中に母親が電話を取った相手が、『山本妙子』ではなくて智恵の友達の『山本サチエ』だったと言う事を。 そういえばどことなく心の居心地が悪かったのはきっと僕の中でそう言うことが、引っかかっていたからなのだ。
「ふぅ〜〜ぅ」
受話器を口元から一旦離した僕は、これでもかと言うくらい長くて深いため息をついた。
【次週に続く】