ぱっとやごうのジャズ千夜一夜物語

第42夜 ごめんね アニタ

いつもと同じ朝。社内の自販機で買ったマキアートを片手に、帰任前の仮デスクに。ふと見ると
「Stammi bene, Jago ! Anita(元気でねヤゴー)」
と書かれたカードが一枚。
はっとする。 瞬時に思いは巡り、僕の目は潤んでいる。


大人の都合 ─ そう、すべては大人の都合で、ヤゴーおじさんの事が大好きな8歳のアニタはもう1年以上僕に会えずにいる。 僕は次に会う時の為に日本から買ってきた子供用の浴衣を渡せずにいる。きっともうサイズも合わなくなっているだろう。

昨年の今頃、僕は腹心の部下を解雇した。突然に。どうしてもそうせざるを得ない理由で。 片腕を無くさぬ為に目をつぶるのか、トップとしての矜持か、を天秤にかけた末の断腸の思いだった。


まだ僕たちがベストビジネスパートナーだった頃、彼の家でのパーティーに隣家のアニタもたまたま遊びに来ていたのだ。 あっという間、気付いた頃には周りのみんなもびっくりするくらい、アニタは僕になついていた。
「ほほえましいね。」
「娘か? 孫か? 恋人か?」 みんなが茶化した。
そして僕がお呼ばれの際には当たり前のようにアニタも来るようになっていた。
「ヤゴー、これ食べる?」
「ヤゴー、もう一回弾いて。なんていう曲? OLEO? 変なの。」
「ヤゴー、みて、前転が出来るようになったよ。」
「ヤゴー、ホリデーにはクロアチアに行くんだよ。」
ヤゴー、ヤゴー、、、

で、突然の音信不通。子供には理解できなかっただろう。誰もきちんと理由なんて説明できていないだろう。


何かの拍子に僕の帰任を知ったのか? 誰がどうやって僕の所にアニタのカードを届けてくれたのか?僕にはわからない。解雇前後のあまりに人間臭いドラマのせいで、それについて詮索したくもない。 ただ、届くかどうかわからないカードを誰かに託した子供の純粋な思いに強く心を打たれる。『大人の都合』、という言葉が頭の中でリピートされ、哀しくて複雑な想いに見舞われる。


僕は決めた。
─ まだ一か月以上ある、何とかしよう ─
子供の純粋な思いに応えなくては。僕の持ってきた浴衣を羽織って「ヤゴー、サイズが合わないよ。」とアニタが笑うシーンを何としてもこの目で確かめなければ。

Oleo

Miles Davis / Bag’s Groove

1957年 Prestige

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